HeavyNovel |二次創作小説・Web小説サイト

二次創作小説やWeb小説などを取り扱っています。

二次創作小説やWeb小説などを取り扱っています。

エヴァンさんの火遊び

f:id:tableturning:20161103151602j:plain

 

ーどうしてこんなことになっているんだろう。ー

白い天井を見つめたまま、その人物は考えていた。体重を任せているベッドは体格に合わない大型のベッドで、それに寝そべりただ天井を見ていた。
自分の上には大柄な男が腰を振っている。何度も往復を繰り返し息を荒げながら憎悪と悪意に染まった笑みでひたすらに欲望を発散している。
ぞっとするような生々しい鼓動が肌一枚を通じて体内に直接伝わった。男が体を屈め、ぴったりと皮膚を密着させる。人の体温と熱が両者で共有される。男の荒い吐息が、息遣いが耳元から入って脳に直接記憶される。消せない記憶として。

わからない。
どうしてこうなってしまったのか。わからないまま……。

 

ー 1 ー

朝は涼やかで清涼だ。生ぬるい風が澄み切った一日の始まりを知らせてくれる。街を歩く通行人達はしっかりとした面持ちでスーツに身を包み歩いていた。誰もがその身に職務を持ち、自分のなすべき事のために歩いている。その顔には覇気があり目には輝きがある。戦士のような面持ち。そんな中でその人物は暗い表情でぼんやりと立ち尽くしていた。
「会社に行きたくない」
顔にはそう書かれていた。目からは生気が感じられなかった。その人物は会社でも主任という立場につく人物であった。だが状況は一向によくならない。会社に勤めて数年、主任に抜擢されたものの責任だけが重く、毎日雑用のように社長にこき使われる毎日だ。それは奴隷に似ている。社長の気分次第で褒められることもあったがそれは稀だった。主任を今縛り付けているものは社長による支配と圧力だ。
足が震え一歩が出ない。ただぼんやりと立ち止まっている。だがそれでも重い足取りをゆっくりと進め歩き始めた。人形のように歪で気だるげな歩行。無個性な建物の中へと入って言った。

「おはようございます」
開口一番に挨拶をする。静かな朝のオフィスに主任の明るい声がこだました。
「おはよう」
すれ違った人が挨拶を返してくれる。それだけでも大分心が救われる。そのままタイムカードに打刻をし、所定の場所へしまい自分のデスクへと向かった。それほど広くはない室内だ。だが一歩進むたびに緊張が胸を縛り付ける。その先にはいつも目にしている人物がいた。
「おはようございます」
思わず声が震えた。自分のデスクから少し進んだ場所に”それ”はいた。
「おはよう」
それは少し好意的な声色で挨拶を返した。エヴァン・マクミラン。この会社の社長だった。元々は大手企業を経営する社長の息子だ。その経営者が子会社として設立したのがこの事務所だった。エヴァン・マクミランはその子会社の経営を任され実務と共に経営の基礎を学んでいる若い社長だった。普通の社長であれば自分専用の立派な社長室を作るものだが彼は違った。社内にいる数十人の動きを把握するために合えて従業員に近い場所にデスクを置き、常に社員の職務内容を把握している。社員たちは彼を社長とは呼ばない。エヴァンさんと名前で呼んでいる。それはエヴァンが望んだことだ。彼は社員の動きをより把握し、情報交換を円滑なものにするため自ら常識を捨てた。
彼の経営手腕は優れたものだった。自らの声名に驕ることなく、普段から努力と勤勉を怠らず実直で安定した経営を行っていた。厳格な面持ちは常に緩むことなく、瞳からは覇気さえ感じられる。定期的にジムで体をいじめ抜いているのか、筋肉は程よく引き締まって美しい線を描いていた。
傍で見れば思わず見惚れてしまうほどに完成された大人の男だ。だが彼の醜い本性を知る者は数少ないだろう。


「おい、この間の案件はどうした」
席について書類に目を通していた主任の背後にはいつの間にかその男が立っていた。人を見下すような蔑んだ目でズボンのポケットに手を突っ込みこちらを見ている。
「い、いえ。まだ片付いてません……」
「今週のうちに片付けておけと言っただろう」
舌打ちをするような不機嫌さを放出しながらエヴァンは言った。主任の額に冷や汗が浮かぶ。
「す、すみません。努力します」
「努力などいらん。結果をだせ」
「ご、ごめんなさい」
思わず俯いてしまう。エヴァンは心底呆れたような様子で主任から目を離した。
「おい、それはどうした」
「え?」
ぞくりと主任の背筋に悪寒が走る。”それ”の正体を必死に考えた。スーツにしわがよっていたのだろうか。それとも髪型が乱れていたのだろうか。さもつまらないことで社長の琴線に触れてしまったのだろうか。
「それだ、お前が今手にしている物だ」
「あ、これですか」
主任の手には金属製の真新しいペンが握られていた。これは自分で仕事の意欲を向上させるために買った少しだけ高級なペンだった。
「自分で買ったんです」
「そうか」
それだけ確認するとエヴァンは踵を返し、自分のデスクへと戻って行った。
思わず息が出る。胸の中が安堵で満たされる。よかった。今日は怒られる事はなかった。つまらないことで嫌味は言われたがそれはいつものことだ。案件に関しても急を要するものではない。今は大丈夫だ。

……。
今は?明日は?その次の日は?
会社の窓から外を見た。青く澄んだ空がどこまでも続いている。だが自分はその空の下でスーツを脱ぎ捨て走ることはできない。自由はどこまでも広がっている。だがその自由は決して手に入らない。鎖に締め上げられるような毎日は永遠に続く。
「…………」
思わず涙が出そうになって飲み込んだ。泣いてはいけない。学校を出て、組織に入って義務付けられた事だ。この僅かな平穏を守ることが主任としての義務であった。

それから数時間が立ち、あらかたの事務仕事と雑務を片付けた。午後からは発注先の会社へ赴き打ち合わせをしなければいけない。それから新規顧客の開拓だ。やる事は多いがこれが充実しているということなのかもしれない。
主任はデスクを片付けると鞄を取り出し打ち合わせに使用する書類をしまい込んだ。その際、ちらりと社長のデスクに目をやった。
エヴァンは女性社員と談笑していた。その表情には珍しく笑顔が浮かんでいる。声も心なしか明るかった。女性社員は最近入ったばかりの新人だ。控えめな美人で愛想も自分の数倍よかった。エヴァンは彼女を気に入っている。少なくとも主任の目からはそう見えた。

ふと、自分の過去を思い返した。怒られる事はあっても褒められることはない。
やはり、自分は無能なのだろうか。エヴァンは笑っている。そして書類を手に女性社員と何かを話している。かなり親しげな様子だ。美しい女性に聡明で逞しい大人の男。どうみてもお似合いだった。見れば見るほど劣等感が募る。自分自身に嫌悪してしまう。これ以上見ていても無駄だ。主任は鞄を手にするとオフィスを後にした。

***

空は真っ青で広大だった。どこまでも自由が広がっている。だが自分は自由ではない。スーツという鉄の鎧のような重みが自分を縛り付けていた。広がった自由という空の下で奴隷が歩いている。
インターホンを鳴らし、各店舗を点々と回る。大抵は出口で断られる。だが稀に中に招いてくれることもある。マクミランの名を出すと大抵の店主は震え上がる。この日はまあまあ良い方だった。手帳を取り出し、顧客の会社と連絡先そして次の打ち合わせの日取りをメモした。今日のノルマは概ね終わった。帰社する時間ではあるが仕事は全て片付いている。すこし寄り道をしてもいいかもしれない。主任は近くの喫茶店へと歩き店内に入って言った。
涼やかな冷房の風が主任を迎え入れる。ソファー席に着くと心地よい疲労が体全体に伝わった。
「やあ、休憩中?」
そんな主任のテーブルに一人の男が近づいてきた。灰色のスーツに身を包んだすこし跳ねた髪型の人物。彼は後輩社員だった。まだ年若く何かと話しかけてくれる。
「よかったら休んだ後、一緒に帰社しませんか?丁度仕事が片付いたんですよ」
「あ、うん。そうしよう」
主任は笑って応えた。
「主任って本当に仕事できますよね。いつも社長の下でテキパキこなして尊敬します」
「そんなことないよ……今日も社長に怒られたし……」
「それは社長が主任のこと好きだからですよ」
主任の顔は一瞬で真っ赤になった。
「じょ、冗談言わないでよ。びっくりするじゃない」
声が自然と上擦っていた。
「冗談じゃないですよ!エヴァンさんっていっつも主任のことばかり見てるじゃないですか。何かにつけて自分から絡んでいくし絶対主任のこと狙ってますよ」
後輩は冗談じゃないといったが、彼の口調はどうみても冗談そのものだった。顔はにやつき、声は少年のように高らかだ。自分をからかう気満々なのだ。本気にしてはいけない。主任は必死に自分に言い聞かせた。
「で?どうなんですか?主任は?」
「え!?あ、はい!?」
「だから社長のこと?その気があるんですか?」
「い、いや。えっと。気があったとして自分なんか相手にされないと思うよ」
「そんなことありませんよ。主任みたいに優しくて穏やかな人みんな狙ってますよ。働いてると主任みたいな人に安らぎを求めちゃうんですって!で、どうなんですか!?」
「…………社長は……ないかな。だって怖いじゃん」
それを聞くと後輩は破顔した。無邪気な子供のように笑う。
「そうですよね!エヴァン社長はないですよね!」
その笑顔に自然と心も解けた。ほっと息を付く。緊張した一日の和やかな午後だった。

***

午後の夕刻。窓からは朱色の日差しが差し込み夕暮れを告げていた。扉を開け、二人の社員がオフィスに帰ってくる。
「おつかれさまでーす」
後輩が元気よく挨拶をした。主任もそれに続く。
営業が出先で休憩を取ることはこの会社では珍しいことではない。特別叱られるような行為でもなかった。二人は仕事を終わらせ並んで会社に帰ってきた。それだけのことだった。
「それじゃ主任、頑張ってください」
「あ、うん。ありがとう」
挨拶を交わし、二人はそれぞれのデスクへ戻る。和やかな空気が二人の間に生まれていた。久々の他者との交流。それを低い姿勢で睨みつける男がいた。
主任は鞄をデスクに置くと、中の書類を取り出して机に置いた。そして椅子を引き出してそれに腰掛けようとした瞬間、低い男の声がこだました。
「おい」
はじめは誰を呼んでいるのか分からなかった。周囲を見渡し、エヴァンと目が合う。そこでようやく自分のことだと理解する。主任はすぐに席を立ちエヴァンの元へと向かった。
「は、はい。何ですか?」
エヴァンの目が低い位置から自分を睨み上げる。それだけで心臓を鷲づかみにされたような圧迫感だった。早くこの場を逃げ出したい。蛇に睨まれたカエルの気分だ。
「今まで何をしていた?」
ぞっとするような低く冷淡な声で質問を投げかけられる。
「な、何をって……発注先で打ち合わせと……」
「そうじゃない!」
男の怒号。ゾッとした。
「帰りが遅すぎるだろう。どこをほっつき歩いていたんだ」
「そ、それは……」
「貴様は若い男と並んで歩くような余裕のある立場なのか?」
「…………」
厭らしいなじり方に絶句する。返す言葉が見つからない。
「あいつはお前より年下の後輩だろう。そんな奴と肩を並べて焦りは感じないのか」
「…………」
「お前、朝に言った案件は終わってるのか?」
「……まだ片付いてません」
「それを先に片付けるのが先じゃないのか?」
「……すみません」
「お前はそればかりだな、これからどうするんだ?」
「……いまからすぐに片付けます」
「そうじゃないだろう。今後のことを言ってるんだ」
「……」
「そんな態度で仕事を続けるつもりか?」
「……」
「俺が真剣に仕事をしている最中に社外の喫茶店で後輩と楽しく遊んでさぞや楽しかったろうな」
ただただ無言で叱責を受ける以外の手法が見つからなかった。彼の言い方はいつもに増して卑怯だ。涙を堪え、心臓の奥の震えを押さえ、歯を噛み締める。泣くことだけは許されない。
「エヴァン社長……喫茶店での休憩なんて今まで目くじら立てなかったじゃないですか……もうそれくらいに……」
自体を見守っていた別の社員が思わず口を挟む。その瞬間エヴァンの怒りが逆流した。乱暴に椅子を蹴り上げ勢いよく立ち上がる。そして湧き出した怒りの噴水は全て主任に浴びせられた。
「もう知らん。勝手にしろ!!」
そう怒鳴り上げると鞄とジャケットを手にオフィスを出てしまった。オフィスが静寂に包まれる。誰も何も口にしなかったが、先ほど口を挟んだ社員が恐る恐る口を開いた。
「大丈夫?」
「……大丈夫」
大丈夫と応えたものの口は振るえ声は掠れていた。目の焦点が合わない。体の内部から恐怖で震えている。
「気にすることはないよ。たまたま虫の居所が悪かっただけだ。外での休憩までうるさく言われたら俺たちは何もできやしない……そしたら俺は本気でこの会社を辞めるね」
「……う、……うぅ」
思わず涙が出そうになった。俯き、涙を必死で堪える。
「社長のことは大丈夫だよ。切り替えが上手な人だから。明日には何食わぬ顔で出社してるさ。ほら、今日はもう帰りな」
「…………」
ありがとうございます。と言おうとしたが言葉は出なかった。言葉を発した瞬間、洪水があふれ出してしまう。たどたどしい足取りで、鞄を手にオフィスから出ることしかできなかった。

***

行く当てもなくふらふらとさまよっていた。酒でも飲めば気分は変わるのかもしれないが元々酒に強い体質ではないため次の日の朝が辛くなってしまう。ふと、公園のベンチに腰掛け時計を見ると時間は十数分しか過ぎていなかった。会社を出てからの永遠とも思える悠久の時間は一瞬にすぎなかったのだ。それを幸福だと思いつつ、同時に絶望にも感じた。ただただ時計の針が一秒一秒進んでいくのを眺めていた。心から口惜しいしばしの至福。
「あ……」
そこではっと気付いた。会社に自分のペンを忘れていた。そのままにしておいてもよかったがあのペンは特別なものだった。最近買ったばかりの自分への褒美だ。それを見るだけでもなぜか元気が出た。いつも鞄のペンホルダーに備えいつでも使えるようにしている。取りに戻らなければ。まだ会社は閉まっていない。今、行けばまだ入れるだろう。エヴァンも、もう帰っている時間帯だ。

会社の扉を開け、中に入ると中は静まり返っていた。奥で整理をしていた社員が振り返り挨拶をした。
「お疲れ?忘れ物?」
「うん、ちょっとペンを忘れて」
「まだちょっと掃除があるからしばらくは開けておくよ。私はこのゴミを出してくるから」
「ありがと……」
社員はオフィスのゴミを一つの袋にまとめるとオフィスから出て行った。主任はゆっくりとした足取りで自分のデスクに向かう。金属製のペンがそこに転がっていた。
「あった」
それを手に取り、鞄のペンホルダーに差し込んだ。艶やかな金属の表面が輝く。なんとなく心が満たされた。

ふと、横目でエヴァンのデスクを見る。彼のデスクは本や書類など物が多かった。それが雑に整頓されている。オフィスには誰もいない。そっとエヴァンのデスクに近寄った。まじまじとそれを眺める。

何か弱みがあるかもしれない。いつもあれほど叱責されているのだ。少しくらい復讐がしたい。大企業の社長の息子、その男が何を弱みとしているのか、それが知りたかった。仕事のことだけではない。女でも何でも良い。妻がいるのに浮気をしているとか、隠し子がいるとかそう言う些細な事実でもいいから欲しかった。

ふと、そこで気付く。自分はエヴァンのことを何も知らない。結婚しているのかどうかすらも分からない。恋人がいるのか、それすらも知らなかった。

心臓が高鳴る。嫌な想像が頭をよぎる。

 

ー社長って主任のことが好きみたいですよー


頭の中を後輩の言葉が反芻して思わず首を振った。嫌な事を考えるな。自分はあの男が憎い。余計な恋慕など汚らわしいだけだ。
そう自分に言い聞かせると、デスクの引き出しに手をかけた。中を開けそれを見る。中には分厚い日記帳のようなものがあった。いや、日記帳だ。質素な装飾と上質な用紙。日記帳に他ならなかった。ごくり、とつばを飲む。願ってもいなかった物が最初の行動で引き当てられた僥倖。間違いなくここには奴の弱みがある。だが勇気がでなかった。見てしまえば奴は怒り憎悪するだろう。もしかすると殺されてしまうかもしれない。
周囲を見回した。間違いなく今、この場には誰もいない。日記帳の中に何があるか、それがひたすらに気になった。
主任は日記帳を手に取り、引き出しを閉じた。そして意を決し、中を開く。
日記帳の中には端正な字で丁寧に敷き詰められていた。端から読み、適当にページを進めていく。内容に関して言えば彼の私事に関しては余りかかれていなかった。仕事において必要な新聞記事、株価、今後の動向、取引先との会話や自分自身のタスク。そういったものがびっしりと書かれているだけだった。たまに見つかることといえば彼の父との食事くらいだ。父との会話、父の考え。そんなつまらないことが書かれているあるだけの退屈な日誌だ。
正直安堵した。何か驚異的な秘密を持ってしまうことは、同時に恐怖でもあった。何も知らないまま今の奴隷を続けることは苦痛ではあったが同時に気楽でもあったのだ。
「何をしているんだ?」
「…………ッ!!」
背後から突如声をかけられ思わず振り返った。目を見開きそれを見上げる。そこにはエヴァン・マクミランが立ち、自分を見下げていた。表情から感情は読み取れない。ただ自分を見下げている。
背後の存在に気付かないほど日記に没頭していたのだろう。突然の事態に驚きと同時に恐怖が一気にこみ上げた。社長のデスクを覗き見ている。それを知られてしまった。先ほど怒られたばかりなのにまた怒られる。いや、殺されてしまうかもしれない。会社をクビにされるよりも何よりもこの社長の存在が恐ろしかった。
「それは俺の日記か?」
「……は、はい」
エヴァンは主任の手から日記帳を取り上げると、パラパラと中を見た。
「見たのか?」
「……はい」
もはや嘘は言えなかった。ただ正直に言うしか他ならなかった。
「そうか」
だが主任の想像とは裏腹にエヴァンはにやりと笑うだけだった。自分を嘲笑っているのだろうか。
「どうだった?」
エヴァンは言う。
「え、何が……」
「何か学び取れそうだったか?」
「は、はい。すごく勉強なされてるんですね」
しどろもどろにそう言った。
「まあな」
満更でもなさそうにエヴァンは言う。
「俺の仕事に興味が出たとはな、お前も意識が変わってきたようだな」
「は、はい。エヴァンさんが何を見ているのか知りたくて」
息を吐くように嘘をついた。
「そうか!そうだったのか」
エヴァンは硬く聡明な顔を崩し珍しく笑いかける。
「一度仕事について話をしよう。食事はどうだ?」
「す、すみません。今日はちょっと」
「なら、いつなら大丈夫なんだ?」
「え、えっと来週」
「そうか!来週だな。仕事の終わりに食事をしよう。そこで俺が考えている事業と戦略について教えてやる」
「え、あ」
「楽しみにしていろ」
エヴァンはにやりと笑うと日記帳を鞄にしまいオフィスを立ち去っていた。嵐のような急激な出来事にただただ呆然としていた。

ー2ー

分からない。彼の考えていることが分からない。
一陣の風が過ぎたその数日後、主任は社長のいないオフィスでぼんやりと考えていた。あれから平穏な日々が過ぎている。
「お前が作ってくれたこの資料、なかなかいいじゃないか」
「ありがとうございます」
「引き続き頼むぞ」
「はい」
珍しいエヴァンの褒め言葉。傍目から見れば普通のやり取りでしかない。だが明らかにエヴァンは機嫌がよかった。その理由が分からない。新しい女ができたのか?
主任はペンを回し雑務を処理する。今、エヴァンは来客の相手をするためオフィスにはいなかった。しばしの安寧に、社員たちも心が軽いのか和やかな空気が生まれていた。
「どうしたんですか?主任。そんな浮かない顔して」
後輩の声に思わずはっとする。
「あ、いや。なんでもない」
「元気ないですね。やっぱり社長のことですか」
胸を刺す様な痛みが走った。
「そんな主任にいいものを持ってきましたよ」
「え……」
後輩は二枚のチケットを取り出し見せびらかす。
「映画のチケットですよ、今夜一緒にいきません?」
「今夜」
思わず呟く。
「予定がありますか?」
「いや、ない」
「じゃあ行きましょうよ!」
「うん。そうだね。行こう」
「それじゃあ会社が終わったら駅前集合で」
「うん」
後輩はその場を立ち去る。映画。久々の約束。安寧の日々。心が自然と浮き足立った。過酷な日常に生まれるささやかな喜びだ。
それと入れ替わるようにエヴァンが来客室から戻ってきた。主任の背後を通り過ぎる刹那、視線がこちらを見た気がした。
「どうした?嬉しそうじゃないか」
エヴァンは立ち止まり、言う。
「はい、良いことがあって」
「そうか、よかったな」
ぽん、と主任の肩を叩く。そして微笑みかけてからエヴァンは自分のデスクに戻って言った。

それから雑務と残っていた案件を処理し、部品の発注を行った。最後に処理した仕事の確認を行う。完璧だ。やり残しなどありはしない。自分の仕事が完璧に納められたことを再確認するとデスクを片付け帰宅の準備に入った。
「随分とやる気があるな」
女性社員と話をしていたエヴァンは、主任の様子を見、女性社員に話を振った。
「ああ、今日デートがあるんですよ。今夜駅前で待ち合わせなんですって」
その言葉を聞いた瞬間、エヴァンの表情が凍りつく。今まで朗らかだったその表情は一瞬で冷酷なものへと変わった。
「なんだと?」
「今夜、映画を見にいくみたいですよ」
見開かれたエヴァンの獣のような目が、出口に向かう主任の背を見た。主任はタイムカードに打刻を行い、所定の場所にカードを戻し、すれ違う社員に好意的なあいさつをしながら帰路についていく。エヴァンはそれをじっと見ていた。今から追えば追いつく。だが確実に社内に混乱を招くだろう。
「相手は誰だ」
変わりに冷酷な言葉が口をついて出た。驚くほど抑揚のない冷たく感情のない声だった。その変わりように女性社員も失言であったことに気付く。絶対に言ってはならないことを知らせてしまった。元々この男はあの主任に対してだけは態度が荒く冷たい。気に食わないのかもしれない。自分が気に入らない者が幸せになるという事実が。
「えっと、わからないです……」
「分からない……か」
エヴァンは女性社員を見る様子もなく立ち上がる。その目は主任が立ち去ったその出入り口を睨んでいた。
女性社員の背に嫌なものが走った。この男を止めなければ、主任そのものによくないことがおきる気がした。
「あ、あの後輩の営業の子ですよ。そういえば映画のチケットを渡していました」
「そうか、ありがとう。もう帰っていいぞ」
エヴァンはそう言うとその場から立ち去る。向かう場所はひとつだけだった。


「おい、お前」
「はい?なんですかエヴァンさん」
後輩は気さくに応えた。だがそれが誤りであったことに一瞬で気付く。自分を見下げるその男の圧力、憤怒。
「あの女に手を出すな」
「え……」
「お前は遊びでやっているのかもしれんが、お前の軽率な行動が社内の風紀を乱すんだ」
「…………」
言葉を失う。眼前には自分を見下げる屈強な男の姿だ。自分よりも筋肉質で大柄で迫力がある。何よりもその目には覇気があった。あの主任はこんな恐ろしいものとずっと向き合っていたのか。
「それともお前は本気なのか?」
「ほ、本気ではありませんよ……」
とってつけたように辛うじてそう応える。
「ただ、同僚として誘っただけです。それ以上何もありません」
「それは本当だな」
質問ではない。確認だった。
「ほ、本当です」
「なら今夜の予定は中止だ」
「…………」
何かを言い返したかったが上手く言葉にはでなかった。
「あいつには俺から直接言っておく」
「分かりました……」
やっとでた言葉がそれだ。完敗だった。この男には叶わない。
エヴァンは目的を達成させるとしなやかな動作でデスクに戻った。そして鞄とジャケットを回収すると速やかにオフィスを立ち去った。

***

 

駅前は雑多な人々で溢れかえっていた。皆煌びやかな服装に身を包み、目を輝かせている。車の往来も激しく、街中はボーイ達の呼び込みで騒がしかった。
主任は帰宅してから家を出ると服を着替え洒落込み家を出た。久々の約束。異性との時間。心が躍った。騒々しい駅前で人を待つ時間すらも惜しい。時計の針は一刻一刻を刻む。幸運なことに明日は仕事が休みだ。夜を好きなだけ満喫できるのだ。

 

……。

 

 

……。

 


そう一刻、一刻。待ち合わせ時間を過ぎているのに、彼はこなかった。
喜びから侘しさに変わる。約束をすっぽかされた。いや、もしかしたら仕事が終わらないのかもしれない。まだ確定したわけじゃない。そうだ、まだ来るかもしれない。
「待ち合わせか?」
「……!」
正面からまっすぐこちらに向かって歩いてきたその人物を見、思わず固まった。それはよく見知った人物だ。忘れもしない。
「エヴァン……さん、どうしてここに……」
「その様子だとすっぽかされたらしいな、良いザマだ」
嘲るように笑うエヴァン。情けなさと共に悔しさがこみ上げた。この人物にこれほど怒りを感じるのは初めてだった。
「冗談だ。奴から伝言だ。今日は来れなくなっただと」
「…………」
「急用が入ったそうだ。仕方ないだろ」
エヴァンの口調は途端に柔らかいもになる。対象をなだめる様に優しい口調で語りかけた。
「送ってやる。俺の車に乗れ」
「…………」
しばし硬直し、促されるままエヴァンの車に乗り込んだ。
エヴァンはキーを回してエンジンをかける。慣れた手つきで車を発進させた。
「今日は予定が開いていたんだな。勿体無い。明日は休みだというのに」
「え、あ……まあ」
気だるげな返答。もう何もかもがどうでもよかった。
「めかしこんできたのに悪かったな」
「…………」
車が発進される。逃げ場のない鉄製の牢獄。
「せっかくだから俺の家で飲まないか?何もしないで帰るのもつまらないだろう?」
「…………は」
「はい」と言いかけてよどむ。

 

ーエヴァンさんって主任のことを狙ってるんですよー


再びその言葉が頭を過ぎり、思わず首を振った。そんなわけがあるはずがないのにその言葉が浮かんでしまうのは、絶対にありえない事象ほど脳に焼きつきやすいからだ。
「はい、良いと思います」
迷い無く応える。社長の誘いだ。行かないわけがない。そして奴は禁欲的で仕事のことしか頭にない男だ。色欲など抱くわけがない。
「決まりだな、進路を変えるぞ」
エヴァンは笑うとウインカーを出し、道を曲がった。車は静かなエンジン音を鳴らしながら道を進んでいく。
漆黒の闇を車のライトが照らした。ぽっかりと穴が開いたようにそこだけが照らされる。暗く狭い道を車はひたすらに進んでいく。
会話は無かった。ホテルに向かう男女のような気持ちの悪い空気だ。そんなわけはない。あの日記帳を見たようにこの男の頭の中は仕事しか存在しない。

 

道を曲がりしばらくするとウィンカーのカチカチという機械的な音が静寂を破った。それはエヴァンの家についたという合図であり、未知の世界への幕開けでもあった。
「ついたぞ」
エヴァンは言う。無機質な声だ。そこで自分が酷く気持ちの悪い妄執に囚われていたことに気付いた。この男が自分をそういう目で見るなどありえないのだ。エヴァンは車を降りると助手席側に回り込みその扉を開けた。エヴァンに誘導され車を降りる。
エヴァンが住居にしている建物は驚くほど質素だった。壁は白く築年数はそこまで長くないことは分かる。窓が大きく作られたシンプルな建築だ。エヴァンの背を見ながら、彼の後を付いていく。
「ここだ、入れ」
重厚な扉の鍵があいて扉が開かれる。立っている場所から玄関が見える。男の一人暮らしにしては質素に片付けられていた。シンプルな男の家だ。それ以外の感想は何もない。
「…………」
なんとなく入るのが躊躇われた。入ってしまえば取り返しのつかないことになる気がした。そんなことはあるはずがないのに。
「どうした?早く入れ」
エヴァンに押され、玄関に入る。背後で扉が閉まる音が聞こえた。ガチャリと鍵がかけられる。

 

とにかく中に進まなければ。歩を進める。そこにはリビングがあり、奥は寝室へと繋がっていた。リビングの中央にはガラステーブルがありソファーが置かれている。寝室は……暗くてよく分からない。
「まあ座れ」
エヴァンはキッチンへと移動し、ブランデーとグラスを取り出していた。
「今日は悪かったな」
氷の注がれたグラスにブランデーが満たされていく。グラスは二つだった。一つを手にしエヴァンを見る。
「乾杯」
グラスに手を沿え、軽く触れ合った。よく考えてみればこの男とこうして二人で飲むのは初めてだ。冷たいグラスが唇に触れる。味は深く重厚だった。この男は良い酒を飲むんだなと改めて思った。すむ世界が違う。そして、ふと現れる一つの疑問。
「エヴァンさんって、結婚されてるんですか?」
確認するのが遅れていた。もし既婚者であれば自分がこの場にいるのは最大の過ちだ。速やかに最悪の事態を避けなければならない。
「いや、していない」
これからもする気はないとエヴァンは続けた。
「父が慎重な人でな、絶対的に信頼できる人物でなければいけないんだ」
「そう、なんですか」
「そんなことを気にしていたのか?」
「い、いいえ。そういうわけじゃ」
「安心しろ。過ちがあったらお前をここには呼んでいない」
エヴァンは驚くほど優しい口調で言った。
「そんなに俺が軽い男に見えるか」
「い、いいえ?」
「試してみるか?」
エヴァンは顔を近づけふざけた様に言う。
「よ、酔ってるんですか」
「冗談だ」
即座に顔を離すエヴァン。ほっと安堵する。
「お前のことは普段から信頼している。時がきたらお前にすべてを任せようと考えている」
思いもしなかった言葉に思わず言葉が詰まった。
「お前にそれを言いたくてな。期待しているぞ」
エヴァンはグラスに注いだブランデーを飲み干し、再びグラスに注いだ。同時に主任のグラスにもブランデーを注ぐ。
「ありがとう……ございます」
そして注がれた酒を飲む。酒を飲むたび視界がぼやけていった。

 

一杯飲むごとに頭がぼんやりとしてまわらなくなる。ゆっくりと頭が酒の快楽で満たされていく。エヴァンを見たが顔色一つ変えなかった。対する自分は顔が赤い。酒を飲みすぎた記憶は無かった。だが酔いはしっかりと回っている。上質な酒だからこそ気付かないうちに飲みすぎてしまったのかもしれない。


時計を見ると時刻は既に十時を過ぎていた。そこではっとする。もう家に帰らねば。社長の家に泊まることになってしまう。
「すみません、もう、帰らないと……」
よろめきながら立ち上がった。体に力が入らない。思わずふらつきそうになる。その体をエヴァンの強靭な体が支えた。
「大丈夫か?」
「ご、ごめんなさい」
「今日は泊って行け」
「いや、そう言うわけには」
「どちらにしろ無理だ。俺も酒を飲んでいる。お前を送ってはいけない」
「じゃ、じゃあタクシーを……」
「こんな夜遅くにお前を放っていくのは危険だ。今夜はここにいろ。分かったな」
「そ、そんな」
それが限界だった。体には全く力が入らない。ふっと意識が途絶えエヴァンの胸に倒れこんだ。
「良い子だ」
エヴァンはそれを冷酷に見下ろしていた。

***

エヴァンは女の体を両腕に抱えゆっくりと運ぶ。リビングの奥にはエヴァンの寝室があった。質素な部屋の中央に大型のベッドがあるだけの部屋だ。大きく開かれたガラス窓はカーテンで仕切られている。

エヴァンはベッドの傍らに腰掛けた。そして眠りについた女を見る。酒に薬を入れたわけではなかった。そんな下衆な真似をしなくても家に入った時点でいくらでもチャンスはあるのだ。だがこうも簡単に自分の思い通りに事が運ぶのは好ましくもあり同時に恐ろしくもあった。

 

女の額を大きな手で優しく撫でる。準備は全て終わっている。後はいつはじめるかだ。このまま朝まで眠ってしまうと流石に面倒だが、運悪く目覚めれば簡単に男の手に落ちる。何しろ逃げ場などないのだから。ここはエヴァンが作り出したエヴァンの城だ。
「うん……」
主任は身を捩じらせうめきながら目を覚ました。目の前にはエヴァンが自分を見下ろしている。
「目が覚めたか?」
「あ、はい」
頭がぼんやりとする。だが時間を置いたせいか前ほど酷くはない。
「無理をするな。水を飲め」
「ありがとうございます」
差し出された水を飲みほす。グラスをエヴァンに返しベッドに体を預けるとアルコールで支配された体が大分楽になった気がした。
「大丈夫そうか?」
「はい、もう大丈夫です……もう一人で帰れます」
起き上がろうとした主任をエヴァンは押し戻す。
「大丈夫じゃないだろう」
「いえ、大丈夫です」
「お前に何かあったら俺の責任になるんだぞ」
「…………」
それを言われては返す言葉がなかった。
しばしベッドに横になる。灯りは無く真っ暗だ。エヴァンは退く様子を見せない。

今日のことを思い返す。後輩からチケットを貰い、映画の予約をし、待ち合わせをする。そこにエヴァンが来て、車に乗り……そこで何を会話しただろうか……。ふと、そこで奇妙なことに気付く。

「そういえば……エヴァンさんは……」
恐る恐る、口を開く。
「何だ?」
エヴァンは好意的に返事をした。そして次の一瞬で彼の穏やかな表情が豹変することになる。
「どうして……知ってたんです?」
「ん?」
「予定が……今日開いているって」
酒で混乱した頭が急な速度で回転する。映画に誘われたのは今日の仕事中での事だ。その際、予定がないから承諾し約束をした。だが、何故その光景を見ていないエヴァンが予定のあるなしを断言できるのだろうか。普通の人間なら今日よりも、もっと前から事前に約束を入れていたと考えるはずだ。

その発見は、米粒のような目に見えないほど小さすぎる物体を虫眼鏡で拡大するような些細な発見だった。が、エヴァンを豹変させるには十分だった。

エヴァンはその体に覆いかぶさり顔を急激に近づけた。蛇のような毒のある眼球が主任の心臓に絡みつく。

「俺が予定を潰したからだ」
低く雑音の混じる声でエヴァンは囁いた。おもわず「ひっ」と呻く。

「俺がお前の予定を潰したんだ。若い男にノコノコついていくお前の予定をな」
エヴァンの手が背筋に回りこみ、着ていたワンピースのファスナーに移動した。ずるりとファスナーが下ろされていく。
「何を期待していたんだ?その男と」
ファスナーが下ろされ、服に手がかかる。服が乱され肌があらわになる。
「ま、まって」
「予定が開いていたにも関わらずお前は来週と言った。他の男の予定は即座に入れた。俺をどこまでバカにすれば気が済むんだ」
「ま、待って」
悲痛な懇願。にもかかわらずエヴァンの手が自身のネクタイに移動する。ネクタイが解かれシャツが肌蹴た。始めて見る男の裸。鍛え上げられた筋肉と幅の広い肩。

エヴァンが素肌を晒したその瞬間から周囲の空気が泥のように濁っていく。その目が獲物を睨み、圧力をかける。逃げ場など存在しない。

互いの服を脱ぎ顔を見合わせる。エヴァンの唇が自身に接近する。思わず体が震えた。このままでは最悪の事態になる。
「バカにしてなんて……いません」
触れる直前、辛うじてそう口にする。
「急だったから……来週って言ったんです。心の準備が欲しくて」

エヴァンは無言で聞いていた。そしてしばらくして口を開き。
「…………許してやる」

そう口にした。エヴァンは笑った。にやりと、唇を歪めて。
「俺とあの男、どちらがお前にとって魅力的だ?」
「……エヴァンさんです」
「良い子だ」
エヴァンの唇が優しく重なる。ほんの一瞬の会話が、暴力的なエヴァンの行動を柔軟なものにした。互いの唇を滑らせ、表面だけを優しく擦る。エヴァンの手が体を柔らかく撫でた。胸から太ももにかけて固く頑丈な手が何度も肌を巡る。
エヴァンの唇が首筋に吸い付いく。耳元からエヴァンの息遣いが直に聞こえてくる。首筋には赤い痕がつけられていく。
「だ、だめです。見える場所は」
「うるさい、黙れ」
エヴァンは構わなかった。そのまま首筋から胸にかけて赤い痕をつけた。そして手のひらで乳房を浅く撫でると最後に女を覆っていた下着を取り外しにかかった。
「……っ!」
女の体が逃げようともがく。女の足の間に自分の足を食い込ませ逃げ道を奪う。その頭を手で固定し髪を優しく撫でた。そして顔を接近させ貪るように口づけをする。今度はエヴァンの舌が強引に入り込み口内を蹂躙した。互いの舌を何度も絡めあい、蜜を混ぜ合わせ唇を離す。そしてお互いの顔を見合わせエヴァンは微笑んだ。そのまま上体を起こし女の肌から離れる。
「……すみません、そろそろ」
「俺を消化不良で終わらせる気か?」
逃げようと身を起こした女を再びベッドに押さえつけた。
「俺を喜ばせろ」
「そ、そんな」
主任の目が思わずエヴァンの下腹部を見る。それは女の体を求めてグロテスクにそそり立っていた。早く。早く女を食いたいという悪魔のような雑言が脳内に響く。
「いや、でも……妊娠したら……」
エヴァンは嗤う。まるで愚かなことを言うなと言っているようだ。そして耳元に顔を近づけ誘惑するように低く囁いた。
「安心しろ……ちゃんと準備してある」
「……っ」
エヴァンの顔が離れた。その手がジャケットを手繰り寄せ財布に手が伸びる。女は横たわったまま為すすべがなかった。エヴァンの準備はすぐに完了する。女の足の間に腰の位置を合わせ自身をあてがった。

女の肉にエヴァンのそれがかすめる。互いの皮膚が接触しては離れ、また触れ合う。互いの位置を確認し、結合部を沿わせるとエヴァンはそのまま女に覆いかぶさり互いの肉体を重ね合わせた。
「…………っ」
女の体にエヴァンの男根がゆっくりと混入する。エヴァンの体が女の体に密着しそそり立ったものが鈍い痛みを発生させながら体内を掻き分けて入ってきた。首元で揺れるエヴァンの吐息が荒くなる。低く轟き黒い霧のように周囲を覆う。エヴァンの興奮が息遣いが欲望に染まった意思が女を内部から汚染させた。
「エヴァンさん、待って……」
止めようとしたが全てが遅かった。エヴァンは喜びに満ち女の体を拘束したまま腰を沈めて行った。ずぶりと周囲の肉を引き裂いて掻き分けエヴァンの一部が深くまで挿入されていく。みちみちと音を立てながら体の中を裂き、全てが完全に収まるとひときわ強く体内を突き刺してからエヴァンのものが咆哮した。

どくどくとエヴァンの鼓動が伝わってくる。血が遡り、何度も脈を打つ。その目で見なくてもそれが自身を支配しているのがわかる。
「全て入ったぞ……」

「う……あ」

「これでお前は俺もものだ」

そう言うとエヴァンは乱暴に唇を貪った。迷いもなく自身の舌を混ぜ合わせる。同時にゆっくりと腰を動かし始めた。扇動的な口づけと同様にその動きは激しくなっていく。

「……っ!!」

何か声を上げようとしたが口が塞がれて声も出せなかった。エヴァンのもたらす快楽だけがその身に打ち付けられ、それは言葉で外に放出されることも無く体内で逡巡する。

エヴァンは女の後頭部を鷲づかみにしたまま何度も体を打ちつけた。それは次第に激しくなり力強くなっていった。何度も何度も往復され体内をかき乱される。エヴァンの唇が離れるとようやく女は悲鳴を上げた。だがそのせいでエヴァンの支配欲を刺激してしまった。エヴァンは激しく呼吸しながら上体を起こし女を蹂躙する。

「や、やめて……くださ」

痛みに快楽が混じり思考はぐちゃぐちゃになっていた。エヴァンは興奮に任せ女の乳房を乱暴に掴む。唇を重ね、舌を混ぜ合わせる。すべての行動はエヴァンの欲望を発散させるための手段に過ぎなかった。膨らみすぎたエヴァンの嫉妬と欲望をその華奢な体に受け止める。

女は抵抗することをやめ、成すがままになっていた。密着したエヴァンの皮膚から熱が伝わってくる。自身に挿入された男根が絶え間なく快楽と刺激を麻薬のように与え続ける。エヴァンの吐息が耳元で激しく荒れる。鼓動が体温が皮膚の感触がエヴァンの欲望が否応なしに与え続けられる。

「…………っ」

それに耐える女にも限界があった。エヴァンの動きが女を堕としていく。身を震わせる女の様子を確認するとエヴァンは邪悪に笑った。女が堕ちるその瞬間。一際エヴァンの動きが激しく早くなった。互いの肌が互いを欲し、最後の瞬間を求め合っていた。

「…………」

女から淫らな声が漏れたのをエヴァンは見逃さなかった。エヴァンの与える欲望に負け、全身から力を失う。エヴァンはそれを粘りのある目でと見つめると優しく頬を撫でた。

「よかったぞ……」

女は焦点の合わない目でエヴァンを見た。歪に笑う邪悪に満ちた表情。暗がりでもそれが確認できた。

そして脱力した女の体を欲望に任せて打ち付けていた。終わりではなく始まりだった。本当の意味でエヴァンは自己の欲求を満たすだろう。女の体にそれが一際強く深く差し込まれ、激しく鼓動した。熱い体液が放たれるのを薄い膜越しにでも感じとられた。びくびくとそれは振るえ、周囲の肉に伝わってくる。エヴァンは女を胸に抱き、激しく呼吸した。そしてしばしの間、その状態のまま余韻に浸っていた。部屋中には男女の欲望と蜜が充満していた。一線を越えた男女の匂いが染み付いて離れなかった。

 

 

一夜が過ぎた。闇で覆われた空は僅かな光を得、ゆっくりと開けていく。カーテン越しから朝の光が差し込んできた。

「水でも飲むか?」

エヴァンはバスローブ姿でグラスを運んできた。ベッドに腰掛けると女の肩に腕を回す。

女が頷くとグラスを自分の口に運び、そのまま女の口に口付けた。エヴァンの口から水が運ばれ、女の体内に入り込んでいく。

「……」

エヴァンは嗤う。全ては自分の欲望を満たすための行動だ。

「なにを躊躇っている?」

エヴァンは優しく笑うと女をベッドに押し倒した。

 

ー 3 ー

 

朝のオフィス。静寂に包まれた室内にあいさつの声が交わされ次第ににぎやかになっていた。エヴァンは早くから自分のデスクに付き、仕事をしている。いつもと変わらない日常。

主任はまっすぐにエヴァンの元へと歩み寄ってきた。その目にもはや恐怖はない。

「おはようございます」

「おはよう」

エヴァンは特別表情を変えることも無く返答した。その首筋にはエヴァンがたっぷりとつけた赤い痕があった。

「今日は渡すものがあります」

「ああ、何だ」

主任は鞄からとあるものを取り出す。退職願だった。

「……本気か?」

「はい、いままでお世話になりました」

エヴァンは退職願を受け取る。引止めはしない。

主任は踵を返し自分のデスクへと戻った。引継ぎまでまだ時間がある。エヴァンはそう考えていたのだ。

 

だがその出来事からいくら日にちが立っても、主任の決心が変わることはなかった。無意味に日にちだけが過ぎていく。終わりのときがすぐそこまでやってくる。カレンダーの日付が一日一日と潰されていった。

「エヴァンさん、これ資料です」

「ああ」

主任は資料を渡すとすぐに背を向けた。

「本当に良いのか?」

思わず引き止めた。

「何がですか?」

主任は何のことか分からないかのように振り向いた。

「いや……なんでもない」

会話はそこで終わった。主任の背が去っていく。

「……あんたのおもちゃにされるのは……もう嫌だ」

聞こえないほどの小さい声で、最後にそう言った。

 

……。

 

 

 

……。

 

 

……。

 

 

***

 

 

「やめろおおおおおおお!!!」

霧の世界では男の絶叫がこだましていた。仮面をつけた巨大な男が黒い触手に両手両足を拘束されて絶叫している。体中には触手の突起物が刺さり血を流していた。男が絶叫するたびにその触手は増えていく。それでも尚、男はあらんばかりの声を張り上げ必死に拷問の停止を懇願していた。

「きーー!なんなのかしらこの男!女を物みたいに扱って!!」

「トラッパーの奴すごいことするなぁ……」

「…………」

エンティティが空間に再現させた映像を、殺人鬼の一同が注視している。一切の脚色と修正なしの塗れ場に一同は盛り上がっていた。

「やめろ!勝手に人の記憶を見るなあああ!!」

騒ぎたてる男の肩を鋭い触手が突き刺した。そして首元を触手が固定し背面に向かって力を加える。

「ぐ……がはっ」

全身の骨がギリギリと軋む音を立てた。体が圧迫され、呼吸もままならない。

「キー!トラッパーの人でなし!!最低よ!最低!何が”俺は軽い男じゃない”よ!少しは女の気持ちも考えなさい!!」

白い枕袋を被った女が鋸を手に持ち怒りに任せてトラッパーを切りつけた。恐らく我慢ができなかったのだろう。

「痛っ!痛!いたたた!や、止めろ!」

トラッパーの体にまた新しい傷が付いた。

「トラッパー、さすがの俺もドン引きだわ」

全身黒尽くめの男が呆れたようにわらう。

「うるさい!童貞のお前に何が分かる!!?」

そう呼ばれた瞬間、男の形相が変わった。

「誰が童貞だクソがあああごらあああああ!!!」

怒りに任せ黒づくめの男が何度もトラッパーの頭を殴りつけた。鈍い音が何度も響く。後頭部の骨がひしゃげ肉は血でどろどろになり、ぐしゃりと血が溢れた。

「キー!この下衆!悪魔!最低だわ!見損なったわ!」

「リア充が!!今まで何人の女を食ったんだ!一人俺によこせよ!!あと僕は童貞じゃない!!」

殺人鬼は一晩中騒ぎ立てていた。

「くそっ、くそっ、もう何でも従う……だから止めてくれ……お願いだから、こいつらから記憶を消してくれ……」

トラッパーは半泣きになりながらエンティティに懇願し続けていた。エンティティの低い笑い声がどこからか聞こえた気がした。