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【殺人鬼と三角関係】第6話 邪悪なる自己欺瞞

その日、ケヴィンは心に決めたことがあった。きっかけは先週の日曜日。実典から見せ付けられた現実、ケヴィンの考えの浅はかさ。それを否定し、自身の考えを認めてもらうため何をすればいいかを少ない知恵を絞って考えた。そして彼が導いた結論は一つだ。おそらく実典も喜んでくれるだろう。

  休日の夕方、ケヴィンは台所の洗い物をあらかた片付けるとリビングでくつろいでいるエドワードに向き直った。
「何だ?お前から俺に関わろうとするなんて珍しいな」
 エドワードはケヴィンを見もせず言った。エドワードは手にしていた洋書を畳むとテーブルの上に置いた。ケヴィンの真剣な顔つきから何か重要な用があることを察した。
「僕も働きたいんです。あなたの会社でバイトさせてくれませんか?」
 口にして苦虫を噛み潰すような嫌悪感を覚えた。最も忌々しい相手にこんなことを頼むしかないなんてどうかしてる。それでも自分には必要なのだ。彼と実典に立ちふさがる大きな壁は人生経験の差だけだ。実典はケヴィンのことをハンサムだといった。ハンサムだから女性なんかいくらでも寄ってくると。ならばそれは実典自身にも適用されるはずだ。自分が本気であることが分かれば……そうだ一回くらいならやらせてくれるはずだ。一瞬、邪念が頭を支配してケヴィンは頭を振り払った。
「先週言われたことが後を引いているのか?」
 エドワードにはお見通しのようだ。
「外の世界を見れば簡単に心変わりすると言われたな。それを自分自身で否定したいんだろ」
 ケヴィンは表情を変えずエドワードを見つめる。
「明日社長に頼んでみよう」
 二人がそんなことを話しているとリビングの戸が開き実典が現れる。実典はむすっとした表情で二人を一瞥すると無言で席に座る。テレビのチャンネルを弄り、夕方のニュース番組からアニメに変えた。ニュースでは若者の就職状況の厳しさを取り扱っていたが実典の手によって無慈悲に打ち切られた。
「……面白いですよねこのアニメ」
 ケヴィンが実典の隣に座り笑いかけた。
「別に、面白くないです」
 実典は無表情で言った。明らかに機嫌が悪い。
「そういえば就職の話はどうなったんだ?結局あの会社で働くのか?」
 エドワードが問うた。
「落ちました」
 実典が答える。
「そうか」
 やっぱりか、と内心エドワードは思った。
「筆記試験で落ちました」
 実典は付け加えた。
「でもミノリさんならもっといい会社に入れますよ!元気出してください!」
 ケヴィンは一生懸命、思いつく限りの言葉で励ました。実典はケヴィンを一瞥すると、その顔に再び暖かい微笑を戻した。
「ありがとう、ケヴィンくん。ごめんね。冷たい態度とっちゃって」
 驚くほど優しい声だった。ケヴィンは少しだけ嬉しくなった。
「そいつは今度から俺の会社でバイトをしたいらしい」
 エドワードは言った。
「そうなんですか」
「はい」
 ケヴィンは肯定する。
「ちょっと待っててください、ケヴィンくん」
 実典は立ち上がるとリビングから出て自室へ向かった。とたとたと階段を上がる音が鳴る。そして何かを手にしてすぐにリビングへと持ってきた。
「はい、これ使って!」
 手のひらに収まるサイズの青くて四角い物体がケヴィンの手に渡される。
「何ですか?これは」
 不思議そうに問う。
「電話!迷子になったらそれで私に連絡して!」
「電話!?こんなに小さいのが!」
「正確には電話はつながらないけどね、でもインターネットなら使えるからそれで通話できるよ」
 ケヴィンはびっくりしてスマートフォンの光沢のあるガラス面をまじまじと見つめた。
「って言っても使い方分からないよね」
 実典はケヴィンの手を取ると少しだけ屈みスマートフォンを見つめた。側面のスイッチを押してスマートフォンを起動させる。そしてケヴィンの指を動かして画面に触れさせた。
「ここを押すと電話が起動するのよ」
「は、はい」
 ケヴィンは高鳴る鼓動を抑えながらスマートフォンを見つめた。
「これが私の名前、読める?」
 一覧には実典実一人だけが登録されていた。
「読めます。これを押せばいいんですね」
「うん」
 ケヴィンは実典を見た。実典の長い髪がさらりと揺れた。ほんのりとシャンプーの香りがした。ケヴィンの心臓が高鳴り顔が熱くなる。実典に触れらた指の感触が残る。暖かくて湿った実典の指先。下半身が硬直するのがわかった。
 そうだ、この感情が偽りなんてことはない。ケヴィンは実典が好きだ。初めはたしかに相手が若い女性だったから浮かれていただけかもしれない。それもケヴィンが憧れていた黒髪でストレートヘアの純和風女性だ。だが実典の優しさに触れるうちにそれがいつの間にか本気で恋するようになっていた。最初は惹かれあうだけ、そしていつか互いの体を欲するようになる。恋とはそういうものなのだから。
 ケヴィンは自分の指に触れる実典の手を握り返してその手を撫でた。そして顔を上げてじっとその黒い目を見つめていた。実典の瞳に自分の顔が移る。この一瞬が永遠にも感じてしまう。
「な、何なんですか。じーーっと見つめて。顔に何かついてますか?」
 実典は驚いてその手を優しく離した。そしてケヴィンの顔を不審げに見つめ返した。
「ご、ごめんなさい」
「い、いやかまいませんけど」
 実典は少し戸惑ったように踵を返してキッチンに向かった。そしておずおずと食事の準備を始めた。
「今日の夕飯は何だ?」
 黙って本を読み耽っていたエドワードが問う。
「あーーどうしようかなー。またパスタでいい?」
 実典はラフに言った。
「俺は料理ができないからな。何でも構わない」
「冗談ですよ、今日は和食にしようかと思って。小鯛が売ってたので鯛飯を用意してあります」
 実典は白い頭巾を被るとエプロンを付けて炊飯器を開けた。リビングに品のいい上品な香りが漂った。そこには淡く色づいたお米とほんのり薄紅色に色づいた小ぶりの鯛が入っていた。実典は丁寧に小鯛の骨と小骨を箸で取っていく。面倒な作業だが大事だ。これをするかしないかで料理を食べたときの感動が変わる。横着しないで丁寧にすべて取るのが肝心だ。実典が料理に集中しているとケヴィンがそばに寄ってきた。
「僕にも何か手伝えることはありますか?」
 ケヴィンはやわらかく微笑む。そしてじっと実典の顔を見つめた。
「え?あ……」
 ケヴィンの頭が斜めに傾き狂気を秘めた目に少しだけ光が宿る。その目を見ていると気が狂いそうになる。実典は思わず目をそらした。
「今はないかな……」
 ケヴィンは頷いて席に戻った。奇妙な不快感が実典の心臓に残っていた。蟲が体中に這うような気持ちの悪さ。興味のない第三者からの好意ほど気持ち悪いものはなかった。頭の中で嫌な予感がしていた。予想される今後の未来を鯛の小骨を抜きながら考えていた。

 



 翌日、夜が開け朝を迎えた。エドワードが仕事に出て家にはケヴィンと実典だけが残されるはずだった。なのに部屋に実典はいなかった。ケヴィンは早起きではない。昨日は良く眠れなかったためケヴィンは少しだけ遅く起きた。時刻は朝の10時。完全に寝坊だ。ケヴィンは少しだけ落ち込んだ。実典への好意を意識し始めてからようやく二人きりになれると思ったからだ。二人だけになる機会はいくらでもあったが、好きになる前と後ではその重みは全く違う。ケヴィンははっと気付き、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。側面のボタンを押すと液晶画面にナビゲーションが映し出される。自分が生きていた時代にはこんなものはなかった。会いたくても連絡を取る手段は手紙しかない。いや、固定電話であれば存在していたが携帯式でしかもこんな手持ちサイズの電話はなかった。アプリケーションを起動すると一覧に実典の名前が記された。そう、声が聞きたいと思えばいつでも聞ける。なのになぜこれほど緊張してしまうのだろう。
 ケヴィンがスマートフォンの画面を見つめていると、外から車のエンジン音が聞こえてきた。窓から庭を覗いてみると、広い庭の一角に一台の黒い車が停車された。車はワゴンサイズで車高が高かった。おそらくエドワードとケヴィンの身長に合わせた選択だろう。
 玄関の鍵を回して扉を開く音が聞こえてきた。そして実典がリビングに入ってきた。
「あ、おはよう。ケヴィン」
 少しだけ戸惑った様子で実典は言う。
「おはよう、ミノリ」
 ケヴィンは笑顔で返した。その瞳はいつもと違い輝いていた。
「車買ったんだ。ないと不便だと思って」
「そうなんだ!」
 ケヴィンは喜んだ。これで実典と憧れのドライブデートができる。
「半分以上は親の金だけどね。ケヴィンは運転できる?」
 実典はからかうように言った。ケヴィンが運転できないと思っていたからだ。
「できますよ」
「そう」
 少し意外だった。見た目は頼りないが中身はしっかりと大人をやっているんだな、と実典は感心した。
「免許は持ってるの?」
「地獄にいたときに日本用の免許を発行しました。ホームステイするときに必要になるからって、運転自体は前からできましたけど」
 天国地獄のシステムとは一体どうなっているのだろうか。気になるが知らないほうがよさそうだ。
「そうなのね、ケヴィンは明日から職場体験だよね」
「はい、あいつが会社に頼んでくれたおかげでまずは試用で雇ってもらえるそうです」
「エドワードさんって見た目は怖いけど優しいよね、はいじゃあこれあげる」
 実典は自分の財布から五円札を取り出すとケヴィンに差し出した。
「え、これって」
「お金。働いてたらみんなと飲みに行ったりするでしょう?その時にお金ないと困るものね。あとケヴィンくんのお祝いもかねて」
 ケヴィンは思わず泣きそうになった。今まで誰からお金をもらったことなどなかったからだ。自分に対してここまでしてくれる人が今までにいただろうか。
「ありがとうございます。ミノリさん」
 ケヴィンは実典からお金を受け取るとその手を包み込み強く握り締めた。そして実典に近づきその目をじっと見つめる。
「……っ」
 実典は思わずたじろぎ目をそらした。そしてさりげなく、ケヴィンと距離を開けた。この目を見てると頭がおかしくなりそうだ。気が狂いそうになる。ケヴィンの中には人には理解できない狂気のようなものがあった。ケヴィンが殺人鬼であるという事実も、歯車がズレてしまったような精神の不安定さも、受け入れられるほど実典は心を許していなかった。もしそれを受け入れるときが来た時、彼女は普通の女ではなくなるだろう。それは人の摂理を相容れない異端者だ。

 翌日、ケヴィンとエドワードが向かった先はビルの建設現場だった。ケヴィンが働いていた会社は建設会社でエドワードは主に肉体労働をしていたのだ。
「お前、工事現場で働いてたんだ」
「当たり前だろ、俺たちは目立つからな普通に働こうと思ったら肉体労働が一番あっている。給料も高いからミノリの助けにもなるだろう、ほら朝のラジオ体操が始まるから行くぞ」
「はいはい」
 ケヴィンはエドワードの後を付いていった。
 建築現場での労働は過酷の一言だった。知識のないケヴィンに任されたのは資材の搬入だった。十数キロもある資材を肩に担いでビルに運ぶ単純労働。荷物の搬入は効率性を高めるため、一人で何十キロも運ぶようになった。ケヴィンは人より数倍の怪力を持っていたがさすがにこの単純作業には疲れた。気性の荒い作業員たちに何度も注意されながらケヴィンは仕事を続けた。エドワードも慣れた様子で搬入を行っていたがそれだけでなく大型クレーン車の誘導や道路整理や安全確保なども行っていた。周りの作業員にも的確に指示を出している。なぜだろうか、周りの男たちから信頼を集めている気がする。
 そうして昼休みを迎え、ケヴィンが一息ついてるとエドワードがケヴィンの前に現れた。エドワードはケヴィンの傍らに缶コーヒーを置くと隣に座った。
「何ですか?気持ち悪い」
「餞別だ、安心しろ毒は入ってない」
 ケヴィンは置かれたコーヒーを取り、タブを開けた。コーヒーの甘みが体に染み渡り筋肉に残る疲れを癒した。
「最近ミノリに馴れ馴れしくしすぎだ」
 エドワードは単刀直入に言った。その言葉から嫉妬心は感じられなかった。
「はぁ?また説教ですか?」
「そうじゃない、お前は最初からあいつに対して慣れ慣れしかったが最近はすこし度がすぎる。ミノリに対して色眼鏡が混じっている。別に悪いことをしているわけではないが、ミノリにも心の準備は必要だ」
「……」
 ケヴィンは黙り込んだ。
「忘れるなよ、ミノリにとって俺たちは人殺しだ。それが普通の人間にとってどれだけ重いことか、お前なら分かってるだろう?」
 ケヴィンは頭を抱えた。その目から光が失われ、唇から血が出るほど噛み締めた。
「あいつの言ったことは確かにナイフの刃のように鋭かったが核心を突いている。お前はもう少し外の世界を見たほうがいい。ミノリ以外にも女はいくらでもいる。今週の土曜に飲み会がある。そこに女もくるからお前も来い」
 そう告げるとエドワードは立ち上がり、仕事場に戻った。ケヴィンはただ唇を噛み締め早まる鼓動を押さえつけていた。

 それから何事もなく数日が過ぎた。ケヴィンは建築会社でひたすら肉体労働を続けた。肉体的な疲れより精神的な疲れの方が大きかった。労働者たちは皆体育会系で下っ端としてこき使われるのは予想以上にストレスを蓄積させていた。それでもケヴィンは仕事を続けた。実典に対する悔しさもあったしクリスマスも近かったからだ。日本のクリスマスが男女にとってどれ程大事なものか聞かなくても耳に入る。そして曜日はすぐに土曜日を迎えた。その日の夜、ケヴィンとエドワードは家を出た。
「これは俺からの祝いだ」
 そう言うとエドワードはケヴィンに一万円札を差し出した。ケヴィンは一万円札を受け取ると苦々しく顔を顰めた。
「ありがとうございます」
 エドワードから情を受けるのは正直忌々しかったが素直に好意を受け入れた。そして一万円札をそっと財布に忍ばせると財布をポケットにしまいこんだ。二人は迎えに来た同僚の車に乗り込むと待ち合わせ場所である居酒屋に向かった。車は会社で使用している大型のワゴン車で身長の高い二人でもなんとか乗り込むことができた。
「今日は3対3の合コンだ。見た目は派手だけどなかなか可愛いぜ」
 運転手も兼ねている幹事が言った。女の子……ミノリ以外の女の子と出会えばミノリに対する気持ちもなくなるのだろうか。新しい世界を知ってミノリではない女性と話すことで自分の中のミノリの存在は小さくなるのだろうか。果たしてそれは良いことなのか。ケヴィンは考えた。もしそれが正しければ今までケヴィンが実典に抱いていた気持ちは嘘になる。ケヴィンはほんの少し恐ろしくなった。車の窓からネオンの景色を眺めながらケヴィンは思いを馳せた。

 居酒屋に到着すると奥の席へ通された。ガヤガヤと雑音が混じる居酒屋では外国人の観光客も珍しくはなく思ったより二人が目立つことはなかった。おそらく幹事なりの配慮だったのだろう。三人は奥のテーブルへと通された。部屋は個室で敷居はカーテンによって隠されていた。そこにはすでに3人の女性が席についており、エドワードとケヴィンを見ると黄色い歓声を上げた。
「外人って聞いてたけど本当だったんだ!」
「二人ともなかなかイケメンだろ?」
 幹事は言う。
「すごいおっきい!!身長は何センチあるんですか!?あ、日本語話せる?」
「アタシ豊田カナって言うの?君はなんて言う名前?」
 女性たちは怒涛の勢いで質問をしてきた。確かに美しい。髪の色や形状や化粧の濃さが皆同じで見分けがつきにくいというのはあるが3人とも実典より美人だ。髪を茶髪に染めパーマをかけ、くるくると髪はウェーブを描き煌びやかな装飾品で自身を飾っている。服装はピンク色のワンピースやオレンジの洒落たブラウスなど色彩鮮やかな服を着ておりレースで飾られたそれらは華やかさを一層増している。蝶の羽のように長いまつげに赤い口紅、爪にはネイルアートが施され長く伸びていた。そんな爪で料理ができるのだろうか。ケヴィンは思った。香水の匂いがケヴィンの頭をくらくらさせる。まるで別世界に来たようだ。それでも悪い心地はしなかった。女性にモテるというのは初めての体験だったから。
「エドワードさん……」
 ケヴィンは隣にいたエドワードの名を初めて呼んだ。思わずエドワードの目に驚きが宿った。
「ごめんなさい……ここのメニュー漢字だけでよくわからなくて…教えてください」
 エドワードは少しだけ笑みを浮かべるとケヴィンが好みそうな料理を数点選んだ。
「ケヴィンくんって本当にかっこいいよねーモデルかやってるの?」
「え、僕ですか?そういう風に思ったことはないですけど」
「またまたぁ、ケヴィンくんって可愛いっ」
「そ……そんな」
 ケヴィンは目を伏せ少し戸惑った。ケヴィンはとにかく女の子たちからモテていた。とりわけこの豊田カナという女はケヴィンを気に入っていた。いつの間にかケヴィンの隣に席を移動しベタベタとまとわり付いていた。
「ケヴィンくんって今付き合っている人はいるの?」
「付き合っている人はいないですけど……結婚の約束をしている人はいます」
 ケヴィンは言った。その言葉を盗み聞きしながらエドワードはひそかに眉を顰めた。エドワードはケヴィンとは違い幹事と話しをしているようだった。もちろん女性も交えて酒を楽しんでいるようだが、女性との間に明確な壁を作っている。幹事に至っては車の運転があるため酒を飲まず会話だけを楽しんでいた。
「えーーーうっそお!ショックーー」
 豊田はケヴィンの話を聞くと両手を口の前に当てて大げさに驚いた振りをしてみせた。長いまつげ、大きな瞳と大きな口、感情をストレートに表情として出すそのしぐさ、そして何よりも彼女は若い。確かに言われてみれば本多より美人なのかもしれない。手入れされた茶髪は艶やかだったし、その服装は華美で鮮やかだ。実典はいつも質素な黒い服ばかりを着る。化粧も薄い。対する豊田は実典よりも女性らしくきちんと女の子をやっているように見えた。見た目だけの問題ではない。ケヴィンが何かを言えば真剣に聞くし、話しの返し方もずっと上手い。わざと分からない振りをして男をおだてていい気分にさせる。

 グラスにビールがなくなると率先して酒を注ぎ、料理がなくなれば自分から聞いて好きなメニューを頼んでくれる。実典はそんなことはしない。自分の好きなものは勝手に取れというスタンスだし他人にもそれを求めない。人の話はたまに聞いていないし、掃除も雑だ。だけどその分他人のこともあまり気にしない。自分が皿を割っても失敗しても怒ったりはしない。彼女が怒るときは本当に自分が間違いを犯したときだけだ。たとえば洗剤入りの水を飲みそうになるとか。ケヴィンは思い出してくすりと笑った。おそらく10人の男にどちらかがいいと聞けば10人が豊田カナを選ぶだろう。
「でも、他の女性も知ったほうがいいって言われてるんですよね。僕は世間知らずだから」
 豊田は大きな瞳でケヴィンをじっと見つめると瞬きをひとつし、ケヴィンのジーパンに指を這わせた。指は蟲惑するように淫らに動き、ケヴィンの太ももを蛇のように這う。
「……っ、何するんですか?」
 思わず下半身が硬直する。ケヴィンは自分の腕に絡みつくその女を思わず見た。実典が密着した時とは違って温かみはなかった。
「その女の子ってアタシじゃだめかな」
「え……」
「アタシ、ケヴィンくんのこと気に入っちゃった。好きなの。ねぇ、これから飲み会抜けて二人でで飲まない?」
 豊田は妖艶な声で言った。ケヴィンは少し悩むと立ち上がりその提案を受け入れた。
 ケヴィンと豊田は店を出てネオンの光る街の中を歩いた。豊田はケヴィンの腕に細い腕を絡みつかせ通行人たちの好奇の視線の中歩いた。美しい美青年と美女、どう見てもお似合いのカップルだ。これほど相性の良い二人はいないだろう。自尊心が豊田の心を満たしていた。そしてどんな手を使ってでもこの男を手に入れる。涼しい顔の裏側には熱い激情が渦巻いていた。店の前までたどり着くと長いまつげを羽ばたかせて豊田はケヴィンを見つめた。
「ここは?お酒を飲むところですか?」
 目の前には華美な装飾をした白い建物があった。簡素な看板には日本語と数字が二つ。ただし何を示しているかケヴィンにはわからなかった。
「お酒を飲むところじゃないよ、恋人同士が深く愛し合う場所なの」
「恋人同士って!」
 ケヴィンは顔を赤らめ大げさに驚いた。
「もしかしてこういうところ来るの初めて?」
「か、からかわないでください!」
「ふふ!さあ入ろう!」
 恋人同士が愛し合う場所。その意味は説明されなくても察しがつく。女性経験のないケヴィンが女性を知れば、実典への気持ちは変わるだろうか。実典は自分に対してどう思うだろうか。嫉妬してくれるだろうか。
 ホテルの入り口から少し進んだ通路に部屋の写真が移ったパネルが規則正しく並んでいた。白いベッドだけのシンプルな部屋から華美に装飾された洋風な部屋までさまざまな種類がある。
「ケヴィンくんはどんな部屋が好き?」
「僕は……」
 洒落たベッドに西洋のカーテン。まるで実典の部屋みたいだな、と思った。しばしそれを見つめていると豊田がその部屋のボタンを押した。
「これが気に入った見たいねケヴィンくん」
 大きな口を開けて笑う豊田。二人はそのまま窓口に向かった。
(こういうときは男が支払うんだよな……)
 顔が見えないように工夫された窓口でケヴィンが財布を取り出してお金を確認し、そして手を止める。ケヴィンは動けなくなった。無理だ、今夜この子を抱くことはできない。
「どうしたのケヴィン君?」
「やっぱりやめましょう。無理です」
 ケヴィンは言った。
 財布の中には、実典がケヴィンにくれた五千円札が入っていた。ケヴィンは食事代などは別でもらっていた。だからその五千円札だけは絶対に使わなかったのだ。ケヴィンが初めてもらった祝いの品。実典のお金でホテルに泊まって実典以外の女性を抱く。そんなことは絶対にできない。
「どうしてここまできて……ケヴィンくんはアタシのこと嫌い?」
「カナさん、知ってますか?僕は人殺しなんですよ?」
 ケヴィンは笑った。己の苦痛を噛み締めながら、身を引き裂かれるような痛みに必死に耐えながら。ケヴィンは自分自身の罪を自分自身の口から告白する。それは自らの舌を噛むほどケヴィンにとっては苦痛だった。
「え……」
 花のように愛らしい豊田の顔が一瞬にしていびつに歪むのがわかった。その目は忌々しげに細くなり自分を見ている。そう、これが普通の人間の反応だ。真実を知れば誰もがそういう反応をする。
「でも、あの人は僕に優しくしてくれました。いつも守ってくれました。きっとあなたと同じように僕を怖がってたのに」
 ケヴィンは泣き笑いのような顔で女に告げる。
「もしここであなたを抱いたら。あの人は二度と僕を異性としては見てくれない。そう思うんです」
 だってそれが、あの人の願いだから。ケヴィンは思う。別の女性が出てきてフラフラとその人に落ちるくらいの思いの浅さなら実典はケヴィンの思いを受け入れることは絶対にないだろう。実典が自分を見てくれないと想像するだけでケヴィンの胸は引き裂かれるかと思うほど痛かった。
「だから、だめです。ごめんなさい」
 ケヴィンはぺこりとお辞儀すると走ってその場を後にした。とり残された女は悔しげに俯いた。そして唇を噛み締めた。男が隠していた罪に対してなのか、それとも自分が年上の女に負けたからなのか、もはや何に対して怒っているのか分からなかった。ドス黒い嫉妬心だけが胸の奥を支配した。



「あらかじめ言っておきますが、この話は拒否していただいても構いません。絶対でなくあくまでも任意です」
 鈴木は夜間に実典の家に訪れ、話を持ちかけた。リビングには実典と鈴木、そしてついさっき帰ってきたエドワードがいた。鈴木の顔は笑っていない。そこからこの話がいかに大きいことなのかが読み取れる。エドワードは席で向かい合って話を進める二人を腕を組み見守っていた。
「私がその子を拒否したら。その子はどうなるんですか」
「消滅……でしょうね」
 実典はちらりと鈴木を見た。そして鈴木の背にいるその人物を見た。顔が醜悪に歪み、体は折れたまま治療もされずに放置されいびつにゆがんでいた。後遺症だけがその体に残っている。垂れた瞳がじっとこちらを見ていた。まるで救いを求めるようだ。
 実典は逡巡し考えを巡らせると静かに言った。
「受け入れます、その子を」
 実典は鈴木をじっと見つめた。
「本気か?マスター」
 エドワードが問う。実典は頷いた。そして鈴木の背後で第三の殺人鬼が実体化する。3人のうちで最も魂が劣化し理性を失った殺人鬼。その顔は醜かった。