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レイスとフィリップの生活 プロローグ

汚れた空気、鉄錆びた工場。

醜悪な場所から逃れ暗闇をひたすら歩き、唯一安らげるその入り口にいたのは真っ黒な怪物だった。

 

僕は問う。

 

「お前は誰だ」

 

奴は言う。

 

「僕はお前だ」

 

それが僕とあいつの出会いだった。

ひどくつまらない僕と怪物の劣悪で邪悪な日常の物語。

 

***

 

その日は最悪だった。何が最悪かといえば答えは一つだけだろう。彼にとって世界の大半を占めているのは仕事のことだ。

労働者フィリップは職場の先輩に酷く怒鳴られ怒られた。たったそれだけのことが鉛を飲み込んだかのように彼の胃袋を捕らえている。

「会社に行きたくないな……」

フィリップは会社から自宅までの帰路、電灯の明かりがちらちらと周囲を照らす闇の中でつぶやいた。呟きは生ぬるい空気に溶け込み消えた。

フィリップは優れた経営手腕を持つアザロブが所有する廃車工場に勤めている。廃車工場には数多くの廃車が運ばれていたが中には車の修理なども請け負っていた。

アザロブは奇抜な発想と迅速な行動力、そして天性の才能で次々とビジネスを展開し成功させてきた。その才覚ある男に見初められフィリップは廃車工場で働いている。初めはとても嬉しかった。だが今は……。

 

フィリップの仕事は単純だ。運ばれてきた廃車を潰してスクラップに変える。そんな単純作業を繰り返す廃車工場の社員……のはずが現実では雑用係だった。まともに勉学も受けられないような腐った田舎町からはるばる赴いた彼には車の知識など全く無く重機の操作すらままならない。かといって事務仕事ができるかといえば計算もやたらと遅く要領も悪かった。彼に与えられた仕事は整備士であったが、実情は粗暴な先輩達の雑用係だった。毎日怒鳴られながらフィリップは働いている。

頼みのアザロブは早々にフィリップに飽きて先輩同様、辛辣に当たるようになってしまった。フィリップの一日は朝の出勤で高級車を運転するアザロブに見下され蔑まれるところからはじまる。どうやらこの二人、根本的に相性が悪いらしい。最近ではコスト削減に伴うリストラの話も耳にするようになった。

「僕……ヤバいのかな」

再就職の難しさは彼自身が良く知っていた。まだ20代前半の彼ですらこの小さくみすぼらしい工場しか働き先がなかった。会社を辞めて新しい職場を探す。それまでの面倒さを考えると億劫でしかない。フィリップはもう何度ついたか分からないため息を再び吐き。自身が住む古びたアパートの前で立ち止まった。白いコンクリートで作られた無機質な建物が目の前にある。

幸運にも工場は8時間の労働時間と週休二日はきちんと守っている。今日家に帰れば二日だけは静かな休息を迎えることができる。

……それを過ぎたら?

そこまで考えてフィリップは首を振った。とにかく”今日”はなんとかなったのだ。その後のことは帰ってから考えれば良い。

フィリップは建物に入ると廊下を通り階段を上がった。かつかつと無機質な音が屋内にこだまする。小さい蛍光灯の黄色い光がほのかに照らす寂れた通路をゆっくりとした足取りで歩く。単一的な足音とともにそれは姿を見せてきた。フィリップにとってもっとも馴染みのある景色。それは他者から見れば他と同じだが毎日、同じ通路を歩いているフィリップにとっては特別で心癒される城への入り口だ。自然と心も軽くなる。そしてフィリップは立ち止まった。その入り口に何かが"い"た。

体の表面を奇妙な嫌悪感が撫でた。いうなればそれは不吉以外何者でもない。フィリップは自分の城である自宅の扉の前にいるそれを見、棒立ちになっていた。

 

漆黒の怪物。

 

それが自室の扉にもたれ座り込んでいた。身長はフィリップよりもずっと大きく、腕は筋肉質で隆々としていた。反面足は細くアンバランスだ。

その見た目が異様だったのは全身真っ黒で木の肌のように皮膚がガサガサだったからだろう。加えて頭からは奇妙な泥か粘土のようなマスクを被っており、服もボロボロの外套を羽織っていた。下半身は包帯をきつく巻いており奇妙かつ異形の姿だ。紛れも無い怪物。

「…………っ」

フィリップは絶句する。漫画の世界であればダークヒーローとして存在していてもおかしくはないが、これは現実だ。そして何よりもこの怪物をどかさなければ部屋には入れない。

フィリップは気配を殺して化け物に近づいた。近くでその顔を見る。どこか翳りがあり自分に似ている気がする。最も嫌なのは自分がこの怪物に親近感を覚え始めていることだ。こんな化け物に、自分が似ている。その考えが頭を支配しそれに対する嫌悪感で怒りが助長される。その繰り返しだった。

普通なら警察を呼ぶところだろう。だがこの化け物が警察に捕まり投獄されることは酷く嫌だった。なぜだか自分自身が牢屋に閉じ込められる錯覚が頭をよぎった。なんとしてもこの化け物を隠し、誰にも見られないように隠蔽しなければ。

「おい、起きろよ」

やっとの思いでフィリップはそう口にした。目の前の怪物はぴくりと反応するとやがてゆっくりと顔を上げた。

「お前は誰だ」

フィリップは問う。心臓がぎりぎりと痛んだ。湧き上がるのは恐怖ではなく怒り。

「僕はお前だ」

怪物は鸚鵡返しのように言う。その瞬間フィリップが維持していた心の均衡が破裂した。

「ふざけるな!!お前のような怪物が僕なわけないだろ!寝言は寝てから言えよ」

「嘘じゃない。僕はお前だ」

怪物は怒る様子も無く淡々と応えた。

「僕は、お前が人殺しになった世界からきた」

「…………っ」

その瞬間、フィリップは泣きそうになった。胸が張り裂けんばかりに鼓動する。認めたくなかった事実。人殺しとしての自分。彼が怪物から感じ取った親近感はそれだった。

過ちを犯した自分を非難することは自分自身を非難することと同じだった。その怪物を間違ったものと認めることは自分自身を否定することと同じだ。化け物を否定すれば、この化け物は本物の殺人鬼になるだろう。化け物は化け物たるして存在するのだ。そうでなければ本物の人殺しで大量殺戮者だ。その違いは罪を犯した者にとって大きかった。

残酷かつ非現実的な感情。フィリップは本能でそれを知っている。それは目の前の怪物を通じて一瞬でフィリップに伝わった。だから彼は認めなければいけない。殺人者であることを拒絶して化け物になることを選んだ自分を。

「信じられない。お前が僕だなんて」

その台詞はフィリップのせめてもの抵抗だった。

「証拠ならある」

化け物はそう言うと、腰につけたベルトバッグからとあるものを取り出した。先端が欠けた歪な車の鍵だった。それを見、フィリップの心が凍りつく。これはフィリップが最も憎み、最も尊敬していた人物の所有するものだ。

「ボスの……キー」

フィリップの上司であるアザロブの車の鍵だった。他者から見れば何の変哲もないそれはフィリップからすれば化け物が自分自身を証明するのに値する決定的な証拠だった。デスクに置かれたボスの鍵を見るたびに彼は一抹の夢と理想と嫉妬を思い起こした。ボスの持つ高級車はフィリップにとって理想であり、同時に嫌悪の対象であったのだ。狂おしいほどに憧れ、苦しいほどに妬んだ雪辱の日々。上司が高級車を運転するたびにフィリップは憎悪と憧れを胸にしていた。否応無く突きつけられる才覚の違い。アザロブはフィリップに無いものを全て持っている。金も女も地位も。

「僕は、上司を殺した」

化け物は語る。

「この手で滅茶苦茶にした。これはその、証拠だ。僕が奴を殺した……証拠」

フィリップは震える足で化け物ににじり寄るとがくりと膝をついた。そして震える手で怪物の首に手をかける。そして泥でできたマスクをゆっくりと引き上げた。

銀髪の男。顔は自分自身そのものだった。まるで鏡を見ているような錯覚。だがそれは紛れもない自分自身であった。

「嘘だ、嘘だ嘘だ」

フィリップは立ち上がると後ずさりながら首をふる。

「嘘じゃない。僕は異世界からきた。正確に言うと追放されたんだ。ご丁寧に人としての心や記憶まで元通りにして。僕が苦しんでいるのをあの人は楽しんでる」

「人殺しが僕に何の用なんだよ!僕はお前なんか知らない!」

「僕は戻ってきただけだ!自分の家に」

「ここは僕の家だ!」

フィリップは堰を切ったように怒鳴った。暗い廊下にフィリップの声が反響する。隣の部屋からがたりと音がした。そこで二人は事態がまずい方向に進んでいることを知った。

「と、とりあえず中に入れよ。兄弟!」

フィリップはわざとらしく大声でそう言う。

怪物は立ち上がりフィリップに場所を譲る。フィリップは鍵を取り出すと焦りながら扉を開けた。安息の空間への扉が開かれ生活臭が充満した室内に入り怪物を招き入れる。怪物は元から自分の家だったかのように部屋に足を踏み入れた。

フィリップは扉を閉め、厳重に鍵をかける。普段使わないチェーンまでかけた。そして目の前の怪物に向き直った。

「あ!!」

そして咄嗟に怪物の腕をつかんだ。

「なんだよ」

「ふざけるな!そんな汚い格好で僕の部屋を歩くな!!風呂に入れよ!!」

フィリップは怒鳴る。怪物はマスク越しにあからさまに嫌そうな顔をした。

「ヤダ!お風呂嫌い!」

「ふざけるな!絶対風呂にいれるからな!」

「ヤダヤダヤダ!」

嫌がる怪物の腕を引っ張り風呂場まで連れて行く。シャワーの湯を出すとシャワー室を目の前でぼうっと突っ立っている怪物の腰を思い切り蹴飛ばした。

「ギャアッ!」

獣のような悲鳴を上げてシャワーのお湯に突っ込む怪物。フィリップは冷酷にそれを見下している。

「大人なんだから風呂ぐらい一人で入れよ!僕の手を煩わせるな」

怪物は床に手をつき頭からシャワーの湯を被りながらうらめし気にフィリップを見た。

「ほら!石鹸ならそこにあるだろ!?」

怪物が顔を上げると石鹸を置く台座があり壁に貼り付けられていた。そこに白い塊が乗っている。怪物はそれをただ見つめていた。

「くっそ、めんどくせえな」

フィリップは悪態をつくとスポンジを片手に石鹸に手を伸ばした。そしてそれを泡立てると酷く乱雑に怪物の頭をこすった。

「ぎゃああ!やめてやめて!ハゲる!」

「勝手にハゲろ!」

若干引き気味で片手だけで乱暴に怪物をこするフィリップ。怪物は目をつぶってそれに耐えていた。

「ここまですれば大丈夫だろ、あとは勝手にしろよ」

フィリップはあらかた怪物を磨いてからそう言うとシャワーを化け物にかけてから浴室の扉を閉めた。怪物の泥のマスクは剥がれて水に溶け落ち服はびしょ濡れだ。だが汚れは確かに取れて幾分かマシになっていた。

「ここにタオルおいて置くからな、ちゃんと綺麗に拭いてから上がれよ」

浴室の扉越しに酷くぶっきらぼうな声が響いた。怪物は体中の泡を落とすと着衣を脱ぎその場に畳んだ。タオルを手にすると体についた水分を拭い取った。