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トラッパーとナース

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血生臭さが残る陰湿な空間。周囲はコンクリートの壁に覆われ異質な臭気と相まって陰惨だった。室内は蒸し暑く換気が悪い。熱によって蒸し殺されそうなそんな環境にも関わらずその女性はその場に佇んでいた。

 

閉塞的な空間で金属が研がれる不快な音が反響し外にまで響いている。鉄工場を覆う暗鬱な空気を宿す静寂な森に似つかわしくない金属音が波紋を広げていく。

 

霧の世界の住人の一人である巨大な男、トラッパーは自宅の作業場でひたすら武器のメンテナンスを行っていた。ノコギリのような形状をした細い長剣を手に取り、刃先を研いで光に照らす。血に濡れていた刃は美しく輝き切れ味の良さを周囲に知らしめている。想像以上の出来栄えに、仮面の中の表情がいびつに笑った。

「待たせたな。終わったぞ」

トラッパーはノコギリを作業台に品良く乗せると振り向いて彼女に笑いかけた。

トラッパーの背後で静かに待っていた白い女性はトラッパーに向かい合うと穏やかに微笑みを返した。その頭は布で覆われていたが、彼女の親愛は空気を通じてトラッパーに伝わった。

「いつもありがとうございます……トラッパー」

放たれた声はガラスのように透明で鈴のように甘く転がった。金属質でクリアガラスのように透明な声はトラッパーの脳髄に甘味に染み渡り彼の欲望を震わせた。

トラッパーはノコギリを手に取るとナースの手に渡した。柄の部分を渡す際、互いの手が触れ合う。それを予想していたかのようにトラッパーの大きく硬い指がナースの手の甲を優しく撫でる。

ナースは一瞬身を震わせると穏やかな動作でトラッパーと距離を取りそして背中を向けた。

 

ナースがトラッパーからプロポーズを受けたのはつい最近のことだ。新しく現れた殺人鬼ナースを何かと世話をし仕事を教え甲斐甲斐しく気遣うトラッパーであったがやがてそれは親密なものとなっていた。

トラッパーにとってナースは唯一仕事場にいる女性だ。何かと思うところがあったのだろう。男性社会の中でも気まずくならないよう紳士的に振舞っていた。そしてナースも仕事の同僚としてトラッパーの手助けをしているうちに二人は他人という言葉では表せないような関係になっていた。信頼と愛情。それが彼らの仲を密にしている。

「まだ答えはだせないのか?」

決して焦るような口調ではなく落ち着いた低い声で優しく問う。強要ではなく確認。そこからは大人の男特有の冷静さと狡猾さが垣間見えた。

「急に結論を出せることではないの」

トラッパーに背を向けたままナースは呟いた。

トラッパーはナースの後ろから手を回し抱きしめた。力強さと互いの体温が伝わりあい、熱を深めていく。ナースの胸がじわりとした苦味で満たされていく。

「やめて下さい……」

甘やかな抱擁。至福の一瞬を鉄の意志で拒絶する。ナースにとって亡き夫への思いと背徳はそれほど重いものだった。例えそれが顔も思い出せないほど色褪せた記憶だとしても断ち切れ難くナースをつなぎとめた。

夫を忘れ仕事で出会った別の男性と共に生きる。それは生半可な決心では選び難い。彼女の生きていた人生、幸福の思い出、それらが失われてしまうことと同義だった。だからこそ彼女は決められずにいる。

 「今晩、俺の部屋にこい」

トラッパーはぶっきらぼうに言った。

「行けないわ」

彼女は拒絶する。

「いいから従え」

彼の命令はいつも狡猾で甘美だ。例えそれが背徳的な行為であったとしても命令という形を取った瞬間、罪悪感が減算されるのだ。命令だから仕方がない。彼はそう思わせる狡い方法をいつも取るのだ。

 

 

その夜、ナースは朱を手に取り割れた鏡に向かう。薬指に塗った朱を唇に沿わせ、薄紅の粉を頰に塗った。白い顔が紅で飾られていく。笑みはいびつで瞳には覇気がなかった。

 

ナースの心は一つ「あの人に見て欲しい」それだけだ。彼の視線を受け、愛の言葉を手にする度にナースの心は満たされる。この不均衡な感情が恋かどうか分からない。だが何度考え直したとしても彼女は一人の男に執心していたし、胸の奥で膨れ上がる激情には抗えなかった。今、彼女は恋をしている。あるのはただそれだけだ。それ以外何を求めるというのだろう。そしてその男が自分の元に来いと命令している。ならば自分はそれに従うだけだ。悪いことではない。

ナースは優雅な動作で立ち上がるととある場所へと向かった。霧の世界でも特に目立つ巨大な鉄工場へ。

 

鉄工場に向かう途中、彼女は思う。トラッパーの思いを受け入れることの是非。

トラッパーのことは愛おしい。共にいることができれば幸せだろう。彼との生活はどんなに甘美だろうか。彼の愛を受け、抱きしめられ、囁かれる。

だが未来がないのだ。子供を持つこともできず、生活していくうちに友人かも夫婦かもわからない関係になるだろう。そんな曖昧な関係性を築くことになんの意味がるのか。

ナースにはトラッパーを幸福にするための未来がわからなかった。既に死して、こうして動いているだけの時間を送っている自分が、誰かとともに生きることができるのか。彼女にはわからない。

「また気を揉んでるのか?」

声の主は意外な場所から現れた。トラッパーはいつの間にか自分を迎えに来ていたのだ。深く暗い森の中で冷淡に自分を見つめる男の姿。仮面を外し露わになった表情で自分を見つめている。その目からは感情が読み取れない。笑顔の仮面をつけていながら彼は笑顔を見せないのだ。

ナースが躊躇いを見せる隙もなくその硬い手が自身の手を取った。力強く手繰り寄せられトラッパーの胸に密着させられる。空いた手がナースの布袋にかかり強く捲り上げられた。

突然の口づけ。目眩がするような激しさと熱さに理性が飛びそうになった。

「余計なことを考えるな」

トラッパーは言う。その言葉は強い酒のようだ。理性を奪い、感情だけが燃えたぎる。

「私には……私たちには未来がありません」

「…………」

トラッパーは何も言わなかった。

ナースはひたすらトラッパーを見上げ、白い手で彼の顔の傷をなぞる。その手は恐ろしいほど冷たく、凍てついていた。

「私は…………私は……トラッパー、あなたに」

ナースは自身の頭をトラッパーの胸に預けた。強い心臓の鼓動が聞こえる。体は死んでいても、動いている。生きいるのか死んでいるかわからない。極めて中途半端な命。それでも彼女は愛おしい。

「俺は、待っている」

トラッパーは言う。

「それまで、お前を無理に求めることはしない」

淡々とした言葉をナースは聞いていた。

トラッパーはナースの肩に手を添え、優しく引き離す。そしてナースに背を向け、去っていった。遠くなる彼の姿、鼓動。

驚くほど短い逢瀬の時。トラッパーはナースを無理に求めることはしなかった。

 

 

暗い星空の下、今日も彼女は狩る。白いドレスを血に染めながら。悲鳴と呪いの言葉を一身に受け、残虐の限りを尽くす。

愛する人によって磨かれた銀刃は血を浴び、シミとなって汚した。それを指で愛おしげに拭う。視界に入った人間に焦点を合わせ、一瞬で命の灯火を奪う。被害者の吐息が、悲鳴が彼女の快楽となって脳髄を震わす。

彼女の周囲にはもう誰もいなかった。浄化を続け罪を狩り、彼女は一人ぼっちになった。儀式の終わり。朱色の輝きを交えた漆黒の邪気とともに彼女が元ある場所へと戻される。

 「終わったのか?」

殺人鬼が待機する待合室にトラッパーはいた。手には新聞を持っている。既に仕事を終わらせ待っていたのだろう。効率を重んじるやり方は実に彼らしい性格だ。

「ええ」

ナースは応える。静謐な空間に新聞を捲る薄い音が響いた。新聞に刻まれたその時間は数十年前から動いていない。

「ねえ、トラッパー」

「何だ?」

トラッパーの声には感情がない。無機質な返答。

「感情と使命、どっちが大事だと思う?」

「使命だ。感情は一過性のものだが使命は永遠だからな」

即答だった。無機質な鉄のように。

「そうね」

ナースは微笑む。布袋の中で穏やかに笑う。それはトラッパーには伝わらなかった。

「トラッパー……私……」

「何だ」

「…………何でもないわ」

ナースは背を向けたままその場を後にした。出口の戸を開け帰路につく。

「ナース」

トラッパーが彼女を引き止めた。

「何?」

「よくやった」

「……ありがとう」

ナースは一瞬だけトラッパーを一瞥すると優雅な動作で部屋を後にした。そして自身が根城にする精神病院へ戻って行く。それから彼女がトラッパーに思いを伝えることは無かった。